京都への旅 その9 帰り道
紙芝居
北野天満宮を参拝してから、バス停へ向かう道で紙芝居をしている御坊様と出会いました。
御坊様は良い声です。
毎日喉を鍛えておられますからね。
バス停は積み残されそうなほどの大勢の人たちが並んでいました。
歩き疲れた私は、京都駅までの約30分を満員のバスに立ったままというのが耐えられそうもなく、タクシーの誘惑に負けそうになりました。
しかし、ここで負けたら交通費が倍増です。
一つ前の停留所まで歩くことにしました。
てくてく。
お蔭でバスには座ることができました。
これも一つの智恵であります。
バスの中で一組の男女の会話を聞いておりましたら、男性が言うには「京都へ来るといつも疲れるのは、市バスに乗るからだなあ」。
確かに…。
市バスは料金が安いけど、混みあいますからね。
特に観光シーズンだと道路も混むし、人も多い。
今日は帰り道にバスを利用しただけですが、何度も乗り降りすることを想像しただけで疲れます。
そして無事に京都駅に到着し、京都の一日を終えたのでした。
京都への旅 その8 北野天満宮
北野天満宮 梅花祭
2月25日は北野天満宮では梅花祭が開催されていました。
参拝客でにぎやかな境内です。
梅園には寒さを防ぐためにビニルも貼られていて、写真のように茶席では近くの花街(かがい)・上七軒(かみしちけん)の芸舞妓(げいまいこ)さんらが色とりどりの着物姿で茶をたて、参拝者をもてなしておられました。
ちょっと遠いのとビニルがはってあるので観にくいですね。
北野天満宮へ参拝するのは、4回目ぐらいでしょうか。
去年は太宰府天満宮へ2回参拝したので、菅原道真公へは何度もお会いした気分です。
大四日市まつりの時にも、菅公(かんこう)という菅原道真公と2体のこどものからくり人形が精巧な演技をする山車があります。
諏訪神社の境内にも天神様が祭られているので、道真公とのご縁は深いような気がします。
市内にも菅原町というところがあり、この町とも私は縁が深いのです。
太宰府天満宮は道真公の墓所ですし、京都市内には天神様が何か所もあります。
歴史をひも解くと、それは恐ろしい祟りを起こした方でしたが、庶民の味方でもあったようですね。
いろいろ調べると、愛すべき方です。
京都への旅 その7 一期一会のひととき
北野のお店でランチタイム
大将軍八神社から次の目的地である北野天満宮へ行く道を歩きました。ちょうど、25日ということで、梅花祭の真っ最中。大勢の人たちが、参道を歩いています。食事をしようと思っても、天満宮の前のお店は全て満員御礼でした。
そこで、少し参道から離れたカフェをのぞくとテーブル席が空いていたので、迷うことなく入りました。
写真は本日のランチメニューで煮込みハンバーグです。私の後から入ってきた人一人のみで売り切れでした。そのあとの老夫婦はカレーライスになりました。席も私と同席です。
しばらくはお互いに黙って食べていたのですが、感じの良さそうなご夫婦でしたので、話しかけてみましたら、思いのほか会話がはずみ楽しい時間が過ごせました。
なんでも奥様はお寺が実家だとかで、神社の行事にはまるでご縁がないというお話でした。一方ご主人は無宗教だとか。
「でしたら、結婚式は仏式ですか?」と質問してみましたら、「京都市長さんが仲人で公共の施設で式をあげた」とのことでした。
なんでも昭和28年~30年の頃の京都は、公共の施設での結婚式が多かったそうなのです。二人の息子さんはホテルで結婚式だったそうです。時代はどんどん変わりますね。
いよいよ旅の最終目的地の北野天満宮へ参ります。
京都への旅 その6 大将軍八神社を参拝する
旅の目的地は大将軍八神社
今回の旅の目的は、大将軍八神社へ参拝することでした。銀行のロビーでたまたま見ていた雑誌で初詣におすすめの神社の一つとして紹介されていたのです。印象的な星のマーク、名前も大将軍と立派です。何より、お守りのデザインが北斗七星が刺繍されていて、一目ぼれしてしまいました。
今年は京都の異界、魔界を巡る旅をしようと思っていたので、大将軍八神社のお守りを持っていれば怖いものなしだと思ったのです。晴明神社の五芒星のお守りは普段用、大将軍八神社のお守りは京都の旅専用にしようと考えました。そのために今出川駅から歩いて来たのです。
大将軍八神社は、794年に平安京を建設した時、王城鎮護のため都の方除け守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれていました。「大将軍」とは、陰陽道の方位をつかさどる神様です。大将軍の方角を犯せば大凶運に見舞われるとされています。本来は大凶の神様なのですよ。しかし、その力を借りて都に魔が入るのを防いできているのです。明治時代に神仏分離令により大将軍一神から、「素戔嗚命とその御子五男三女神並びに桓武天皇」が合祀へとなりました。人間の法律の都合で神様が交代するというのも変な話ではありますが、名前の持つ力強さには変わりがありませんね。
ということで、無事に大将軍八神社の北斗七星がデザインされたお守りを授かった私は、やっとお昼ご飯を頂くことになります。時計は1時を回っていました。
京都への旅 その5 大将軍商店街 妖怪ストリートを歩く
一条通りを歩く
晴明神社に別れを告げて、一条通りを歩きました。
目的は大将軍商店街です。
ここには妖怪ストリートという名前がついていて、各店舗には妖怪が住んでいるというのです。
いったいどんな妖怪がいるんだろう?
わくわくしながら歩きました。
一条通りは京都では由緒正しい大通りのはずです。
しかし、一方通行で自動車は一台しか通れない細さ。
歩く人も少なく、自転車が前からたまに走ってくるだけ。
後ろから車は来るものの。メインストリートにしては静かすぎる大通りでした。
しかし、通り沿いには住宅だけではなく、由緒ありそうな会社もあるのです。
京都らしいデザインの住宅も新築されています。
ちょっと異様に感じる場所もありました。
洋風の建売住宅がぎっしり並んでいるのです。
いったい前は何が建っていたのか疑問でした。
マンションの隅っこや住宅の角地に、古いお地蔵様や大日如来様が祭ってあるのは、いかにも京都らしい風情もありました。
ずんずん歩いて行くと、北野へ入ります。
北野天満宮の近くです。
その昔、市電が走っていた場所には記念の碑がありました。
古くからある商店街も軒を並べています。
そしてやっと、妖怪ストリートの旗が見えてきました。
約30分ほど歩いたかもしれません。
一条通りが大将軍商店街となり、妖怪ストリートに名前を変えた場所に入ったのです。
やれやれ…。
そう、やれやれと思いました。
迎えてくれた妖怪たちは、まったくもっておかしな妖怪です。
とぼけた顔をしています。
昼間ですから怖くありません。
たぶん、夜に遭遇したら怖いのでしょう。
手作り感満載の妖怪には、ユーモアは感じられますが、怖さはまるでないのです。
怖さを少々期待していたのですが・・・。
旅はいよいよ今回の目的地である大将軍八神社へ。
京都への旅 その4 晴明神社を参拝する
晴明神社へ
今回の旅の目的は、異界への旅、魔界への旅、妖怪との出会いの準備です。
何を準備するかといえば、旅の間無事に過ごせるように、鬼門を守り怨霊を封じる力を持つ神社へ参拝し、お守りを授かることです。
まず一つ目は、京都を守護する陰陽師の安倍晴明を祭神にしている晴明神社です。
本殿にも五芒星がありますね。
そう、魔除けの星です。
このマークがお守りにもしっかり刺繍されています。
白地に五芒星のお守りは、通勤用のバックにつけることにしました。
私と一番長い時間過ごすことになります。
旅の間は家から守護してくれると思います。
旅のバック用には別の神社のお守りを買いました。
日頃、お守りを買うことはあまりないのですが、今回の京都の旅は特別なのです。
まずは、自分を守るために必要だと感じたのであります。
「感じる」という感覚を私は大切にしています。
五感以外の第六感に古代から人間は守られてきました。
その第六感がお守りを用意した方が良いと告げているのです。
その最初の一個が晴明神社のお守りだったのです。
天皇を守護してきた陰陽師の力が入ったお守りはきっと、怨霊の世界を旅する私も守ってくれるでしょう。
さあ、次の目的地へ向かいましょう。
京都への旅 その3 一条戻橋とは
一条戻橋
京都御所から離れて次の目的地へと向かいました。
今年の旅のテーマは、京都の魔界を訪ねることです。
そのためにはまず準備が必要でした。
たぶん、御所に寄ることになったのも、京都を支配している霊団の影響でしょう。
京都を牛耳っているのは、天皇家そのものです。
そこを飛ばしてこの地への招待を受けることは叶わないのだと感じました。
いよいよ京都の鬼門を守っている陰陽師にご挨拶です。
映画「陰陽師」ですっかり有名になった安倍晴明をお祭りしている晴明神社への参拝です。
御所を出てから、再び今出川通りに戻り、堀川通りを目指しました。
途中に白峯神宮がありましたが、通りを挟んで写真を撮影するだけで参拝はしません。
なぜなら、この神社は崇徳天皇と淳仁天皇という非運な生涯に会われた天皇の御神霊をお祀りしています。
最初から怨霊系の神社を参拝するのは、今日の目的ではありません。
祟り神を参拝するための準備が目的なのですから。
堀川通りに出ると、左に曲がります。
まずは、現在の一条戻橋へ行ってみました。
今でも霊感が強い方がその場に立てば、何かを感じるそうですが、あいにく私は何も感じません。
いろいろ不思議な伝承が残っている一条戻橋には、安倍晴明が式神を隠していたそうです。
写真は晴明神社に移築された古い一条戻橋です。
人相の悪い魔物が式神のようですね。
映画「陰陽師」に登場する式神は美しかったですが、実際はきっとオドロオドロシイものだったかと想像しています。
一般の人間には見えないでしょうが、エネルギー体としてはこの世のものではありませんから、妖怪そのものだったことでしょう。